研ぎ澄まされる直観
研ぎ澄まされる直観
セッションを継続していくと、直観が磨かれていきます。
直観には理由がありません。「なんとなく」という表現が近いかもしれません。理由がないということはそこに思考もありません。ですから恐れもありません。でも、腑に落ちる答えが直観です。
先日あった日常よくあることで例えると、ある場所に行って、帰り道「なんとなく」おみやげにおでんを買って帰りました。すると、その日母親がおでんを食べたかったらしく、具材を購入してきたのです。
こんな実例はみなさんも体験したことがあると思います。「なんとなく」カレーが食べたかったら、帰ってみたらカレーだった、みたいな感じです。
セッションはそんなアンテナが磨かれていきます。面白いような偶然に思えるようなことが増えていきます。でもそれは、本当は当たり前のことのなのです。
そのアンテナの感度が落ちてしまっているので、ソレがよく起こることではなくなってしまっているだけのことなのです。
それまでは奇跡と思えていたようなことまで『よくあること』、そして『必然』に変化していきます。いろんなことが楽しくなっていきます。
そんな体験も、実はただの副産物、ちょっとしたギフトに過ぎないのですが、体感し続けていくととっても楽しくなっちゃいます。