伝えるためには
伝えるためには
私はときどき、いろんなところに顔を出しています。そうして感じるのは、その場にいるとき、人間に戻っているな、ということです(笑)
人間らしさ、それは自我とも言えます。『自分』というものを持ち、何かを大切にし、それを守ろうとしたり正当化しようとしたり、他者と比較したり。
そうした生き方をしていると、一時的な喜びを味わうことはあっても、同じように苦しみも味わうことになります。その螺旋は留まるところを知らず、歯止めの効かないもの。
気づいて、修正しなければなりません。『他の何か』により、一時的に抑え込むことはできても、原因が変わらなければ結果も変わりません。容易に再発します。再発するといっても、表面的には違って見えるようなことで再発するので、本人は同じことを繰り返しているとは気づかないこともあります。
本当の原因は常に一つ。
そこに気づいたとき、光が見え始めます。
それに向けた取り組みが始まります。
そうして気づいたことを、伝えたい。そう感じることがあります。ところが、伝えようとすればするほど、伝わらないもの。では伝えないようにすればいいのか?言葉としてはある側面においてそれは正しい。ところが、伝えたいのにそれを無視して伝えないのでは、やはり伝わらないもの。
伝えようとしないで伝えること。
これをどうクリアすればいいのか。
それは、
『自らが表現すること。』
それでも、伝わらないときは伝わりません(笑)ただしそれは時間の概念においてのこと。『いつ』伝わるかは、委ねるしかないのです。瞬時に伝わることもあれば、数年からもっと、時間を使って伝わるかもしれません。表面上、気づいていないかもしれません。そんなことは、実は重要ではないのです。
自分の真ん中に戻ること。
それをし続けること。
私は、私の真ん中に戻ってきました。