たとえ私がズルくても
2018.07.09
カテゴリ:気づき
たとえ私がズルくても
私は、ずるいのはあまり好きではありません。
とはいえ、自分で自分のことを、ずるいなぁ、と感じることもあります。
それでも、そうだとしても信じるのは真実。
全ての人が同じで、正直で、やさしくて、完全である、と。
つまりは『愛』である、と。
間違いに修正の必要がないという意味ではありません。
謝ることが必要な場面でも謝らなくてもいいということでもありません。
それに対して、囚われる必要がないということ。
罪悪感を持たない、罪を創らなくてもいいということなのです。
そこには安心感、赦しがあります。
そこにしか愛はありません。
自分に対しても、他の誰かに見える人に対しても。