生と死に答えはなく
生と死に答えはなく
何のために生きているのか?
何度となく訪れる人生のテーマだと思います。
生きる意味とは?
状況によっては言うべきではないかもしれませんが、その答えは、
『意味などない』
というのが一番腑に落ちています。
生きている意味がないのなら、
死んでもいいのかというともちろんそうではありません。
死ぬことにも意味はないからです。
生きるでもなく、
死ぬのでもない。
それは対極の世界、
分離の世界だから、
そこに答えはありません。
じゃあ、どうすれば、というところに答えはなく、
在り方の問題なのです。
どう在れば、いいのか。
ついつい良い悪いというような言葉を使ってしまいます。
どう在るのが、
本当なのか。
自然なのか。
分離がないのか。
一つなのか。
答えなのか。
あるいは逆に、どう在れば、
ウソなのか。
不自然なのか。
分離しているのか、
間違いなのか。
と洞察を働かせるのも一つの方法。
本当なのは幸せです。
自然なのは優しく穏やかです。
その対極を創ろうとしたら、
その対極を創っているのは『自我』です。
それは何度となくお伝えしている、
身体、思考、思い込み、常識、ルール、マナー、価値判断、など、
自我です。
自我は『恐れ』をも創造します。
それらを解体していくことが、
癒していくことが、
赦していくことが、
あえて言うなら『生きる意味』となるのでしょう。