フィルター
フィルター
例えば、生死に関わるようなある手術の説明を以下のように受けたとき、
「無事に手術は終わりました。」
「開いてみたところ、空いていると思われた穴はふさがっていたので、そこは何もせずに開いたところを閉じました。」
「思ったよりも硬かったので、予定よりは少なめの切除となりました。それでも、4から3程度になりました(4が重度、1が軽度)。」
「予定ほど切除できなかったため、もしかしたら数年のうちに再手術が必要になるかもしれません。その場合、一か八かの手術になると思います。」
どんな風にうけとるでしょうか?
・一般的に心配性・ネガティブといわれる人の受け取り方は、
・完璧な成功ではなかった↓
・あと数年しか生きられない↓
・手術で切られてかわいそう↓
という感じになってしまいます。
一方、楽観的・ポジティブといわれる人の受け取り方は、
・一歩間違えば手術中に死ぬ可能性もあったのに、無事終わってよかった↑
・なにはともあれ一山超えた、一安心だな
・今後は○○していかないとな
という感じでしょうか。
同じ状況でも、その人の形成しているフィルターによって見える世界は全く違うものになります。どちらが正しく、どちらがいいということではありません。
ただ、『心』次第で観え方は変わるということです。
どちらがより楽かといえば、当然ポジティブな見方です。でも、どちらの見方をしても構わないのですが、するべきことは、落ち込んだり、足を止めることではなく、できるだけリラックスした環境づくりや、やるべきことの準備、となります。
そして『本質』としては、状況があるだけです。『起こることは起こる』ようになっています。抗うことはできません。ただし、本質を生きることで、学習を減らすことができるようです。つまり、別の運命を選択することができるのです。
そういった観じる『本質』。盛岡自然整体-aru-では体験を交えて、できるだけわかりやすくお伝えしています。
本質・自然を生きる人は、外側の状況に左右されることなくいつでも穏やかで、優しくて、愛を生きる人なのです。