盛岡自然整体-aru- 痛みの考察
盛岡市 整体 痛み
痛みは生命現象の最大の謎のひとつであり、人間の行動のもっとも強力な動機のひとつでもあると言われています。痛みを中心に、それを回避したり、治療したり、説明したり、与えることをしています。
ほとんどの西洋医学は薬や外科手術を用いて、痛みをとることを目的としています。それに対して多くの東洋医学(鍼灸や整体)は『痛み』というポイントよりも『人の体』にフォーカスしています。
自然の法則に則った、痛みの伴わない整体を提供します
盛岡自然整体-aru-の一つの信念としてあるのが、『自然な手法で変化を生み出す』ということです。
痛みというのは、その人にとって『何か違う』ことがされているときに起こるものです。
身体にとって何か違うこと。
心にとって何か違うこと。
身体の使い方。心の在り様。呼吸の仕方。思考の使い方。刺激の入れ方。その他なんであっても、本人にとって何かが違う、というときに、もやもやしてスッキリしない感じや『痛み』として現れてきます。
ですから、その『痛み』にフォーカスしても解決には至りません。一時的に痛みがおさまることがあったとしても、再発の可能性が高くなります。同じ痛みか、あるいは形を変えた痛みか。
それが自然の摂理。
反対に『それでいいんだよ』という刺激は、気持ちよさや心地よさがあります。
ですから、盛岡自然整体-aru-のセッションでは、『痛み』『不快感』を一つの指標として活用します。
『痛いことは絶対にしない』のです。
『心身にとっての心地よさを探求します。』
万が一セッション中に痛みや不快感が生じた場合、即座にそれは中止します。刺激の入れ方を変えたり、別な手法を模索していきます。
身体と対話し、心と対話し、それらを大切に扱うこと。そうすることにより『自然と心身が楽になっていく』そんなセッションを提供することを心掛けています。
2019.2
痛みの理由
盛岡自然整体-aru-では、痛みを悪いものとしてはとらえてはいません。カラダ・ココロからの『メッセージ』としてとらえます。
『何か無理をかけている結果』として『痛み』が出ているととらえます。
ですからシンプルにその無理をかけていることをやめればいいだけの話なのです。
それが体の使い方(多くはお仕事、日常のクセ)なのか、あるいは精神的なものなのか、場合によっては化学(食)なのか。それをさぐっていく必要があり、それを改善していく必要があります。
体・心・食のどれか、あるいは複数を偏った・間違った使い方をしている『結果』として『痛み』が発生するのです。
こんな考えのもとに行っていく施術なので『結果』へのアプローチである西洋医学ではよくならない症状が改善するパターンがよくあるのです。
2014.12
痛みの意味づけ
カラダの痛みは、カラダがよくなる時に出る反応です。
熱やだるさも同様です。
例えば、スポーツ時は(=緊張状態=治る状態ではない)、痛みや熱やだるさは感じないですよね。スポーツ後は心身がリラックスし始め、痛みや熱やだるさが出てきます。
また、発熱の時もそうですよね。よくなるために熱が上がったりします。ですから、薬で抑え込むよりも、可能であれば熱は出るままに任せたほうが回復は早いのです。
それを薬で抑え込んでしまうと、熱を下げることになるのですが、それは『カラダがよくなる』反応を抑え込んでいる、ということにもなるのです。
ここでまず一つお伝えしたいのは、『痛み』=『悪い』ではないということです。もし良い悪いで表現するならば、むしろ痛みのあることは『良い』ことなのです。
症状が慢性化してくると、感覚が鈍くなってしまい、痛みを感じなくなってしまうことがあります。その場合、施術を受けることにより痛みを感じるようになることがあります。